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■牛後よりも鶏口を目指す人 人として生まれたのなら、小なりといえども一国一城の主になりたいものです。つまり、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の気概です。「一番」を目標としない人に期待はできません。 ★これは別に「会社を辞めて独立せよ」といっているのではなく、まずどん小さなジャンル、分野でもいいのです。とにかく自分がそこで「一番」になることを目指すのです。 そのために、自分の中で「一番」になれる可能性があるものを必死に探すのです。それは企画力かもしれないし、販売力かもしれません。さらには、部下や後輩とのコミュニケーション能力といったものかもしれません。 だいたい世界一になろうと思っていても、なかなかなれるものではないのに、最初から世界一など無理だと思っているようだと、世界一はおろか、二位、三位すらなることはできないでしょう。 ■「出世主義」に背を向ける人 「出世主義」という言葉がありますが、一般的には、エゴイスティックなニュアンスが強く、けっしてほめ言葉ではありません。 出世のためなら他人を蹴落とし、魂までも悪魔に売り渡してしまうような人間をイメージします。だから、「あの人は出世主義に背を向けている」と言えば、人間的にすばらしい人物のように思えてきます。 ★「出世主義に背を向ける」という言葉は、落ちこぼれ社員が自己弁護に使うレトリックではないでしょうか。なぜなら、有能な人は、否応なく出世しまうからです。 出世主義であろうとなかろうと、本人の信条にかかわりなく、会社は有能な人間を抜擢するもので、それが会社にとってプラスになるからです。 出世という言葉にはいろいろな意味があり、地位が上がるのも出世なら、世に名前が出るのも、金持ちになるのも、偉大な業績を残すのも出世です。 ■会社に親友がいない 会社は「仲良しクラブ」ども「お茶のみ友達の会」ではありません。利潤の追求という究極の目標に向かって、全世界の企業とそこに働く社員がシノギを削る修羅場なのです。 ★そして、会社は同時に社員同士の熾烈な競争の場でもあります。 出世すれば、報酬という形で日々の生活にダイレクトに跳ね返り、満足感があり、名誉も得られます。会社とはそうした果実を仲間同士で分け合う場ではなく、争う場であることを認識すべきであります。 趣味の世界で生き、仲間で楽しく語らうのもいいでしょうが、会社内では、そんなことを期待するほうが問題です。競争の世界でそれを求めるのは間違っているし、友人のためにあなたはドロをかぶれるでしょうか。 「仕事ができる人」は、誰とでも分け隔てなく接することができるものですが、裏を返せば親友がいないということでもあるのです。 ■仕事より家庭を優先する人 もともと会社で働いている限り、仕事と家庭を両立させることはできないでしょう。 もちろん、家庭を大切にすることは大事なことで、子供が熱を出したら、会社を休むということは、やさしくて思いやりのある父親でしょう。 ですが、会社という組織のなかで考えれば、残念なことに、その人には責任のある仕事は任せられないでしょう。下っ端であれば許されても、責任ある立場の者であれば、途中で会社を抜け出すというのは仕事放棄と同じです。 ★仕事にこれといった目標がなく、家庭を第一に考えるのがマイホームパパなのです。これで、いい仕事ができるはずがありません。 家庭というのは、仕事がしっかりできるようにするための社会の基本単位であって、基本単位である家庭を幸せにすることが目的ではなく、それを基本単位として生きがいのある人生、働きがいのある人生を送るのが目的です。 それが結果的に幸せな家庭につながるのです。 |
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